「仕事にしばられない生き方」を実現するたった一つの習慣

kodairoma

皆さんは『テルマエ・ロマエ』をご存知でしょうか。
ヤマザキマリさん原作の古代ローマ帝国の浴場と現代日本の銭湯を
舞台にした全6巻からなるコメディ漫画で
第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞しました。

また、2012年には阿部寛さん、上戸彩さんの共演で映画化され
興行収入59億4千万円という大ヒットを記録したことでも有名です。
ちなみに、『テルマエ・ロマエ』はラテン語で”ローマの浴場”を意味します。

 

今日は、この『テルマエ・ロマエ』の原作者ヤマザキマリさんの
著書「仕事にしばられない生き方」から
セカンドライフの働き方、お金との付き合い方について
是非、皆さんにお知らせしたい内容があったので
ペンをとらさせて頂きました。

内容は、特にアラフィフ世代の方々が
「仕事にしばられない生き方」を実践するために
必須のスキルある”人生の潮目を読む力の身につけ方”についてです。

以下から、著者であるヤマザキマリさんのこれまでの人生を参照しながら
お話させて頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。

人生の潮目を読む力の身につけ方とは

sigotonisibararenai
siome

この本を通してヤマザキさんが言いたかったのは

”お金という大きな価値観に飲み込まれてはいけない”

”仕事やお金と引き換えられないものがある”

”自分にとって本当に大切なものを大事にする”

ということです。
それが幸福につながるのだということ。

そのために大きな価値観に飲み込まれないためには
『俯瞰』して自分自身をみつめる習慣を持つこと。

俯瞰して客観的に自分を見つめることが
”人生の潮目を読む力”を見つける力になるんだということ。

そういう私自身も

”自分にとって大切なものは何か”を常に考え、そのための行動をしていくのが
「仕事にしばられない生き方」=「幸福な生き方」になると思っています。
その想いで独立しました。

では、なぜそのような考え方に至ったのかをヤマザキさんの人生を
時系列で参照しながら振り返ってみたいと思います。

ヤマザキマリさんの年表

ヤマザキ「同感です。社会にうまく帰属できず、『かわいそう』と同情されたりもしますが、本人はあまり意に介していないと思います」

ヤマザキマリさん 画像 P+D MAGAZINE

出生から高校時代
原点
1967年東京生まれ北海道千歳市育ち
幼少の頃に父を亡くし
札幌交響楽団所属の母と団地で過ごす
14歳の頃フランスに1か月の一人旅をする
画家を目指して
イタリア
17歳で油絵と美術史を学ぶため単身イタリアへ渡る
詩人ジュゼッペと恋に落ちる
ジュゼッペと暮らすも極貧生活にあえぐ
漫画家デビュー
日本へ帰国
主産を機に日本へ11年ぶりに帰国
29歳で社会人デビュー
「彼女のBOSSANOVA」で漫画家デビュー。
テルマエ・ロマエの大ヒット
シカゴ
『テルマエ・ロマエ』が大ヒット
シカゴへ移住も家族がバラバラに
家庭崩壊寸前手前でイタリアへ
起死回生の一打『プリニウス』
現在 イタリア・日本
『プリニウス』を共作で制作中
家族との時間を取り戻す
仕事とお金にしばられない生き方

幼少期からの体験が原点

仕事やお金といった大きな価値観にしばられず
本当に大切なものを大事にする生き方を実践しているヤマザキさんですが
その原点は、幼少時からの体験から身につけていったようです。

ヤマザキさんは幼くしてお父さんを亡くして
札幌交響楽団のメンバーとして働くお母さんと団地で暮らしていました。
当然裕福とはいえない暮らしだったため
おもちゃなどを欲しいとねだっても

「本当に必要?」

と問いかけられたといいます。

結果、そのことで自分の欲望と客観的に向き合う術を身につけたといいます。

また、ヤマザキさんは14歳の時に単身で1ヶ月ヨーロッパ旅行をしています。
フランスのリヨンからパリ、ドイツのケルン、ベルギーまでの
14歳にしてはハードな旅で、実際にパリでは野宿寸前のところまでいったそうですが
その際に「自分を支えるもう一人の自分」を意識すること
つまりは「俯瞰」することで、不安を乗り越えられたといいます。

お金と仕事に縛られない生き方の原点はここにあるのです。

極貧のフィレンツェ時代

firenche

その後17歳で油絵と美術史を学ぶため
イタリアのフィレンツェへ渡るヤマザキさんですが
ここで壮絶な経験をします。

フィレンツェでは4歳年上の詩人ジュゼッペと暮らし始めるのですが
この詩人はとにかく働かない人だったのです。

そのため生活費はヤマザキさんが似顔絵を描いたり
観光ガイドや日本人相手の通訳をして何とかやりくりしていたそうですが
とうとうジュゼッペは多額の借金をつくって雲隠れ状態、
そんなときに妊娠した彼女は悩んだ挙句
出産すると共にジュゼッペと別れて、日本に帰国することを決意したのでした。

この極貧のフィレンツェ時代でも「俯瞰」して考えたことで
何とか持ちこたえたといいます。

やりたいこととお金を稼ぐことをいっしょくたにして考えてはいけない

また、困窮したフィレンツェ時代ではありますが

お金がなかったあの日々が、今の私をつくった。

とヤマザキさんは語っています。
芸術や文化に貪欲にとりくんだ濃密な時間を過ごしたからでしょう。

お金では買えないものを得たフィレンツェ時代です。

『テルマエ・ロマエ』大ヒットの陰で

フィレンツェから生まれたばかりの赤ん坊を連れて日本に帰国したことから
どうやら潮目が変わったようです。
29歳で社会人デビューしたヤマザキさんは
本人曰く

「10足のワラジ」を試す

というように精力的に様々な仕事にチャレンジしていきます。

そして漫画家デビューを果たし、現在の夫ベッピーノさんと結婚します。
『テルマエ・ロマエ』の誕生はベッピーノさんとの結婚がなければ
この世に生まれていないといえるでしょう。
なぜなら、ベッピーノさんは生粋の「古代ローマおたく」だったからです。

そうして大ヒットした『テルマエ・ロマエ』でしたが
その陰で家族は崩壊寸前だったといいます。
ヤマザキさんの働き過ぎで家族の時間が取れない状態が長く続いたのです。

そんな生活にやはり潮目を感じたのでしょう。
当時住んでいたシカゴを離れイタリアに戻り、あらためて仕事を見つめ直し
仕事の時間をマネージャーを置くなどして減らすことで
家族との絆を再び取り戻したとのことです。

やはり、何事もバランスが大事なのですね。

現在

現在ヤマザキさんは『テルマエ・ロマエ』に続く古代ローマ物の
『プリニウス』の制作に没頭中とのことですが
『プリニウス』はとり・みきさんとの共作で進行しています。

とりさんは『テルマエ・ロマエ』でのダメージで漫画をやめようとまで
思い悩んだヤマザキさんを思いとどまらせてくれた深い信頼関係で
結ばれた人です。
そのせいか充実した仕事をしているようです。

ヤマザキさんの言葉

この本を通じてヤマザキさんの人生訓というか心に残る
強烈なメッセージのようなものを受け取りましたので
印象的だったものをご紹介します。

本人の意思とか頑張りではなく
どうにもならないことがあるのが
生きていくということ

 

お金には心してかからないとやられてしまう

 

自分に芯がないと不安になる

 

「自分の価値観がすべて」では自滅する

さまざまな経験から出た深い言葉です。
私自身も共感させられました。

まとめ

この本のタイトル「仕事にしばられない生き方をするために」大切なことは
自分自身を『俯瞰』してみる習慣を持つことだと私は思いました。

仕事やお金にしばられない生き方をするためには
自身にとって本当に大切なものを大事にするという価値観持つことと
人生の潮目を読む力を身につけることが必要で

そのために『俯瞰』ということがなくてなならんだと
今回強く思いました。

自分自身も”仕事にしばられたくない”という思いで独立しましたが
お金というパワフルな価値感にはまだ太刀打ちできていないのが現状です。

この本を読んで改めて自身を『俯瞰』してみて
”本当に大切なもの”を明確にしたいとこころから思った次第です。
それがあると本当の意味において幸福になれると思うからです。

皆さんも是非、自分自身を『俯瞰』してみて
本当に大切なものを大事にする人生を歩んでください。

この文章を読んで頂いてありがとうございました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です